自己紹介

夢中で絵を描いていた幼少期

幼少期の自分

1977年9月20日、愛知県生まれ。
母、父、妹の4人家族の長男として育ちました。

幼い頃から、絵を描くことが何より好きでした
描けば描くほど褒められ、夜遅くまで夢中で絵を描き続け、
母に「もう寝なさい」と言われて、名残惜しく布団に入った記憶が今も残っています。

絵を描くことが心の支え

NHK衛星放送のポスター(左) 校長室の前に飾られた作品(右)

小学校の学校生活は決して楽しいことばかりではありませんでした。
クラスには常にいじめがあり、自分がその対象になることもありました。
学校へ行きたくない日も多かったですが、そんな時でも絵を描く時間だけが心の支えでした。

一方で、やんちゃで叱られてばかりの子どもでもありました。
それでも小学校時代には図画工作やポスターで賞を取り、作品が校長室の前に飾られ、NHK衛星放送のポスターで受賞した時は、純粋に「絵が好きでよかった」と心から嬉しかったです。

中学でも非行防止ポスターで受賞。
美術の授業では課題を早く終わらせすぎて、先生から「君だけ特別課題」と言われるほど、絵を描く時間が楽しかったのを覚えています。

デザインの道へ進む

3年間通った名古屋市立工芸高等学校

高校は名古屋市立工芸高等学校デザイン科へ進学。
好きな絵画やポスター制作に囲まれ、毎日が充実していました。
3年間同じクラスで仲間にも恵まれ、学校に行くのが本当に楽しかったです。
高校3年生ではエイズ啓発ポスターで受賞しました。

大学は名古屋芸術大学美術学部デザイン学科へ。
好きなことを続けさせてもらいながら、アルバイトやスノーボードに熱中し、
今振り返れば、人生で一番自由に遊んだ時期でした。
(両親への感謝は尽きません)

辛いことから逃げる自分

大学を卒業後、デザイン会社ではなく、当時興味のあったテレビ業界を目指し映像制作会社へ入社しました。
最初のうちは、芸能人やテレビ局のアナウンサーさんなどと会え、ロケや取材などにカメラアシスタントとして仕事をして新鮮で楽しかったです。

しかし過酷な労働時間や不規則な生活に少しずつ疲弊していきました。

特に広島での二泊三日の撮影では体調を崩した中で厳しい現場に耐えられず、その結果たった半年で退社してしまいました。
今思えば、申し訳なさと悔しさが残る選択でした。

その後、先輩の紹介でデザイン会社へ入社。
デザイン会社では大きな案件が多く、今で言えばブラック企業でしたが、ここでデザインの基礎と実力を叩き込まれたのは確かでした。

ここでも過酷な労働時間(1ヶ月の残業時間が100時間を超えることもありました)でしたがやりがいを感じていました。

3年後、母から実家の自営業を手伝ってほしいと言われ退社。
振り返ると、人生で最も長く続いた仕事は大学時代のガソリンスタンドのアルバイトでした。

辛いことから逃げる自分が嫌でしたが、
結果的に「逃げた選択」を重ねてきた人生でもありました。

一番の失敗は「挑戦しなかったこと」

ずっと大好きだった「絵を描くこと」。

「絵で生活なんてできるわけがない」という先入観を持ったまま、
挑戦すらせずに時が過ぎていきました。

今思えば、一番の失敗は「挑戦しなかったこと」でした。

人生を変えた友人と恩師

父の自営業とフリーのデザインを続けながら、27歳で結婚。
その後、3人の子どもに恵まれ、幸せな日々を送っていました。

転機は2024年。
高校時代の同級生から「グループ展をやらないか?」と声をかけられました。
大学を卒業してから筆を持つことはほとんどありませんでしたが、「久しぶりに絵を描いてみたい」と心が動いたのです。

グループ展は2026年5月に開催することが決定しました。

2025年から本格的に絵を描き始めると、所属する勉強会で作品を発表した時に、塾長から「本気で取り組んだ方がいい」と背中を押されました。

この言葉と出来事が、人生を大きく動かしました。

絵を描くことが誰かの幸せにつながる

48歳。25年ぶりに本気で絵画と向き合い、
最初の作品から「売ってほしい」と言われ、
その後も2名の方に作品を購入してもらえました。
売り込んだわけではなく、相手から声をかけてもらえたことが、
何より大きな自信になりました。

子どもの頃、ただ「好き」で描いていた絵が、
誰かの幸せにつながることを初めて実感した瞬間でした。

「絵を仕事にする」
これまで避け続けてきた挑戦に、48歳から向き合いました。

かつての自分のように、
「子どもの頃は絵が好きだったけど、今は描いていない」
そんな人は、きっとたくさんいると思います。

今の生活をすべて捨てる必要はありません。
でも、時間は作れます。
何気なく過ごしているテレビやスマホの時間を、
少しだけ「好きなこと」に使ってみてはどうでしょうか。

「挑戦するのに、遅すぎることはない」

これから、もっと多くの人に絵を届け、世界中の誰かを少し幸せにしたいと願っています。
そして「絵で生きたい」と挑戦する仲間を増やしていきたいとも思います。

そんな想いで、今日も絵を描き続けています。